記憶と記録の狭間にて
インターネットやスマートフォンなどの普及により、かつてないほどの量の文章や写真が次から次に産み出されている。有名無名問わず、誰もがサイトやブログ、ツイッターなどを気軽に操ることができる時代となり、こうしている間にも日々たくさんの文章と写真がアップされている。たまたま通りすがりのブログ、たまたま検索でヒットしたサイト、どれだけ多くの文章や写真を見るのだろうか。ブログという言葉ができて久しくなるが、更新が何年もされていないブログなどを見ると、さしずめ廃墟のようなイメージがあるものもあったりすると、有史以来で考えると、インターネットの歴史は極浅いが、着実に、そして急速に歴史が積み重なっていることを実感する。
文章だけではなく、写真があるとイメージが醸しやすくなるのは当然で、それが記録でもあり、記憶でもあり、共感を呼んだり、郷愁を誘ったり、とにかくなんだかとても思い出というものに後ろ髪が引かれるのである。
人間の記憶なんてものは曖昧だ。過去の記憶に頼る生き方も嫌である。しかし、記憶があってこそ日々を生きることも確かである。だからこそ、多くの人がインターネット上に日記を公開し、写真を保存し、皆と共有している。自分だけでは経験できない世界を垣間見ると言うことで、きっとそこには価値がある。そして自分の記憶を記録するという行為は、自分が生きてきた証を留めておく、はかなくも意義のある行為となるに違いない。
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